聖霊にお願い!!(ACIMと共に)

ACIM(奇跡のコース)をベースとした日々の気づきを綴ります。

抑圧と投影はautomatic

抑圧でも否認でも禁止でもどれでもいいですが、抑圧したものは投影されるというのが心理学的な法則です。
それも自動的に投影される。


なので、自分の容姿にコンプレックスを抱いている人は
他者の目配せ、何気ない一言が自分がブサイクと言ってくるような気がして脅えます。
そして、怒ります。でも、本当は誰も言ってない。
一方で、自分より容姿が劣っている人を発見すると、内心ダメ出ししつつ喜びます。
馬鹿にされる人は実際は存在してないですが、投影することで作られます。


子供ができないことを苦にしている人は、
母親が言う「誰々さんが子供できたって」という一言が「子供ができないあんたは価値がない」と言ってくるように思い、傷つき、怒ります。
そして、書店で見るたまひよの雑誌も、自分を見下してくるような気がします。
でも、本当は誰も見下してない。


否認をすることにより、こういう投影が自動的に起きる訳です。
完全に無意識のうちに自動的に。ポイントは自動的なのです。


コースの説明によれば、tiny mad ideaを深刻に受け止めた瞬間にとんでもない罪悪感を抱き、耐えられないので抑圧して、エゴを作りだし、この世界を創ったということです。
罪悪感は抑圧されています。


ということで、私たちがこの世界で見るものは自動的に決まっているということですね。
この否認された罪悪感の投影、ただし日常のレベルとは比べものにならないくらい大規模なので、不幸だし、イライラする奴は登場するし、金はないし、空気吸わないとすぐ死ぬくらいに欠乏状態にあるし、最終的に肉体は必ず死ぬし、という具合にまあとんでもないわけです。
罪を投影しようと思うと、自分はダメなやつでないといけないし、他人や状況はイライラさせるものに自動的になるのです。
そういう解釈が自動的に起きる世界なのです。つまり「誤創造の地獄」(ACIMでいこう)


とんでもない量の罪悪感が抑圧されていて、世界に投影して見ている、だから解釈するものは悲惨で当り前。
それが自動的に起きる。だって、めちゃめちゃ抑圧されているから。
映写機で映し出されるように、この世界というスクリーンに投影される。だから、シナリオも始めに決まっている。全自動。


あとは出てきたものをもう一回抑圧するか解放するかしかないので、片っ端から赦して聖霊に委ねて解放しちまえってことですね。
そりゃあ、コースのやり方は速いですよねー^^

日常的な信念→否認→投影→知覚もありますが、規模を大きくして考えるとコースの説明がよく腑に落ちます。