手放せない「弱い私」
カウンセリングを受けてしばらく経った頃から、「弱い私」というのがコアビリーフとしてがっつりあることに気づきました。
いくら幼少期の両親との思い出やいじめの体験を癒やしてもムリ。
全然変わらない。困ったなー。。。
と、コースでは早いのです。聖霊と一緒に見ていると教えてくれます。
テキストで読んで理解するのと並行して、自分のエゴを赦しながら見ていけると、直感でわかります。
心の底では「弱い私」でいたいのです。だって、自分が無垢な被害者になって、強い人に対して怒りを抱けるから。人生をハッピーで過ごしたいとかそんなのは上の方の意識で、潜在意識にはがっつり罪があります。罪を投影して怒って攻撃したいんです。だから、投影して怒って攻撃できる人が現れます。現れるというか、現れた人を自分より強い恐い人に仕立てあげ、自分は無力でびくびくしながら被害を受ける人にし、密かに攻撃できるように、他人を解釈します。無意識なのであっという間。
いくら恐いおじさんばかりの職場から子供だらけの幼稚園に転職しても、今度は子供をその解釈で仕立てあげます。
Ideas do not leave their sourceで、自分の心にあるので、本当は他人は関係ないですね。
と、そんなことをしているエゴを赦して裁かず聖霊と一緒に見る。すると、エゴと同一化せず、赦している自分の立ち位置は「正しい心」にいるはず。エゴと隙間ができている。
まず怒る私を赦す。怒っている私を赦す。赦さなかったら、投影するので「あいつのここが悪い」と延々とやります。あるいは自分責めかを。
でも、それでは投影されたままなので、癒やせません。
激怒する私を赦して、繰り返し聖霊と見る。
ジャッジなしに繰り返し見ることで、罪を投影するためにあいつをおかしいことに仕立て上げ、怒ることで贖罪しようとしていることに気づいてきます。私がやっている。
私はマトモで、あいつがおかしい、と思っていた。
私は全然マトモではないのです。エゴの思考体系はマトモではありません。
マトモじゃないことは見ないことでマトモに思えていただけです。
よーく見れば、他人を罪ある人に仕立てあげ、殺そうとするシステムです。
それに気づけば、エゴの思考体系から自然に離れます。
聖霊に教師を変えようとします。
そして、自分を赦して、自分で作り上げた他人を赦す。
と、毎日せっせとやっております^^