聖霊にお願い!!(ACIMと共に)

ACIM(奇跡のコース)をベースとした日々の気づきを綴ります。

コースについて その3

繰り返しますが、こんな悪いことを考えちゃだめだ。愛のある考えを選択しないと、ではないです。最悪なことはエゴと戦うことです。もっと苦しくなります。判断は「私」ではなく、聖霊の仕事です。beyondが大事であり、戦場を超えたところから見ることが大事です。それには、テキストを読んで理解しながら、聖霊と実地にエゴを見ることです。私が本当にこの狂気の思考体系を信じていることを。私はまともで正しい、あいつはおかしいと、毎日やってますが、そう言っている私は本当にまともでしょうか?

博士はthe web of specialnessの冒頭で、the laws of chaosとthe web of specialnessが幾多ある講義のなかの父と母と言っていたと思います。ここら辺を読むのはやはり苦痛が伴います。エゴの抵抗が激しいので。神やイエスを愛しているなんて嘘っぱちで、本当は毎日誰かを(思考のなかで)攻撃しては血祭りにあげ、自らも苦しんでいれば報われると思っている私は本当は愛の神など信じておらず、贖罪のために生血と犠牲を求めるエゴという神を信じているでのはないか?それは本当にマトモなことなのか。

見ると、自分を自分でジャッジして、攻撃しようとしてしまいます。自分が自分のことを神の子とは思っておらず、I am home of evil, darkness and sin.と思っているから。それを本当は見られたくないから。そのlookingを聖霊と一緒にやることが大事です。そうしないと、本当に苦しくなります。きついですw

 

聖霊と見ていくと、次第にエゴという被害者のふりをしつつ攻撃する存在をマインドで選択している自分に気づきます。一方であなたに罪はなく、今も神から離れていないという神の記憶=聖霊がいます。聖霊と一緒にエゴを選択している私を見ることで、不思議なことに段々とシフトしていくようです。

今も神から離れておらず、兄弟とひとつなのですが、私を攻撃してくる「あいつ」や差し迫った金銭問題のせいでエゴを選択しているのは私です。他人じゃないのです!私がエゴにパワーを与えています。エゴを選択すると、肉体が実在し、リアルに感じるようになります。しかし、聖霊と一緒に見ることをしていると、ある瞬間に肉体のウソっぽさ、これが夢だという認識が訪れます。夜見る夢では目を閉じているのにリアルな映像を見ます。ということは、目は見ていません。同じように、朝も昼も本当は夢を見ています。目という器官は見てないのですね(びっくり)。結局、心が見ている。「人生」が夢であることが薄々わかってくると、出世や権力、自己実現などがまた達成できないゴールであることも段々と腑に落ちます。そこに解はありません。(つづく)