Secret wish
私は「弱い私」というコアビリーフがあり、長年これで悩んでいました。
大体どこにいっても自分は弱く、強い他人がいるのです。他人の言うことを聞かなくてはならず、顔色を伺っています。内心憤慨し、怒りを溜めていました。
ですが、今日やっとその理由がわかりました。
まず、赦しのステップに従って、他人が自分にしてくる(被害者)という見方から自分がやっているという見方、自分の責任に戻します。そして、聖霊と一緒に繰り返し見ていきます。
つまり、ひどい人が私を虐げてくる!なぜかわからないけど!とやっている所を、
自分が「弱い私」を選択していることを赦して、
「私が「弱い私」を選択している。またまた選択した自分で!」と何回も繰り返し見ていくのです。
すると、聖霊が原因を教えてくれました。
結局、「弱い私」でいるのは、罪を投影するのに最適なのです。あいつが強くて、私を虐げてくる。だったら、怒って、あいつが悪いと言えます。
でも、もし対等な関係だとしたら、投影できません。自分が無垢な犠牲者ではなくなってしまいます。
だから、自分が弱いことや他者や状況に翻弄されることが絶対に必要なのです。
自分が楽であるとかそういうこと以上に罪を投影して、自分が被害者になることの方が大事です。
これが私のSecret wish(隠れた願い)でした。「弱い私」という被害者の仮面を被りつつ、他人に罪をなすりつけ、殺したい。
博士の講義を聴くと、イエスは愛とか平和とかの贈り物は欲してない。隠された罪とか欲とかそういうプレゼントを待っていると言ってます。その通りで私の秘密を聖霊に差し出すときっちり教えてくれます。
結局、自分の世界に対する認識は自分の願い通りなのです。無意識に自分で葬ったものは忘れていますが。自分は密かに罪を信じつつも無罪でありたい→他人に罪がある→その決断も忘れたい→マインドがあることも忘れたい→世界に翻弄される私となっています。これはすべて自分の思い通りです。引き寄せの法則ではないですが、無意識まで含めて完全に思う通りの世界になっています。私が私の世界の王様です。
王様は今は無力な市民の仮面を被り、バレないように苦しんでいるフリをしつつ、心の中で殺人に勤しんでいます。
Secret wishは聖霊のランプに照らしてもらわなければなりません。