聖霊にお願い!!(ACIMと共に)

ACIM(奇跡のコース)をベースとした日々の気づきを綴ります。

光源

心が見られていくと、さらに仕組みが実感としてわかっていくようです。

 

女性が横を歩いていく。きれいで幸せそう。

おじさんが横を歩いていく。恐そうだなー。

TVでお金持ちのニュースを見る。うらやましいなー。

 

女性に幸せな人物という映像を当てたのは私。そして、自分は不幸せとしているのも私。

おじさんに恐そうな人という映像を当てたのは私。そして、自分は脅かされる人としているのも私。

お金持ちに幸せそうという映像を当てたのは私。そして、自分は不幸せとしているのも私。

無意識にある私は不幸せ、脅かされる人などの思いが見られないと、投影されて虚像が作られます。でも、実態はありません。私が作っているのです。

だから、女性と結婚してもすぐに不幸せになるし、おじさんに怒っても次にまた恐いひとが現れるし、お金持ちになっても、すぐに不幸せになります。

それは想念によって作り出されているだけなので、実態がないのです。この人と結婚できれば幸せになるとその人を輝かせているのは、その人の人格やステータスではなく、自分の想念です。

逆に、お金を稼いで克服しようなど行動で対処しようとすると、自分のsinを見ないようにし、実態化する方向に行ってしまいます。

こうしたものはエゴを信じることによってできた虚像です。だから、見られれば剥がれていきます。戦うのではなく、改善するのではなく、治療するのではなく、必要なのは単に見るだけです。

自分が誰かや状況を加害者に仕立て、自分を被害者にしている。これをジャッジせずに、罪悪感を抱かずに単に聖霊と見る。見ればよいだけです。

 

この世界の映像を映し出している、人物にコントラストをつけている光源はこの世界にはありません。

イヤな人も、好きな人もいません。いくらイヤな奴を殺しても、また現れます。

好きな人が自分に関心を持たなくなったら、すぐに嫌いになります。

いくらお金を儲けても、今度は失う不安が出ます。

なぜなら、Ideas do not leave their sourceだから。

 

映像の光源は心にあります。心はこの世界にはありません。

聖霊と一緒にsecret sinを見て行くと、段々とマインドに遡ります。

虚像を作り出している源は何か。エゴを見ないことにより保存されているsecret sinです。

 

「自分の外側を探すのはやめなさい。なぜなら、あなたの苦痛はすべて、自分の望むものがどこで見つかるはずかについての自説を曲げずに、それを求めて不毛な探索をしていることに由来しているからである。もしそれがそこにはないとしたらどうだろう。あなたは自分が正しいことと、幸福であることの、どちらを好むだろうか。」(中央アート出版社刊 奇跡講座 T29.VII.1.6-9)