聖霊にお願い!!(ACIMと共に)

ACIM(奇跡のコース)をベースとした日々の気づきを綴ります。

エゴを愛する?

最近、ワプニック博士の講義シリーズを聞いているのですが、私の講義の選び方に偏りがあるのかわかりませんが、博士のコースに関する要点はこの動画にあるようなメッセージで大体以下の通りだと思います。

 

www.youtube.com

 

"You can't get to the truth until you first look at the error.
This is not a course in love, in beauty, in truth, in peace, in joy.
This is a course in looking at the error and looking at the devastation of ego thought system.
When you look at it with him, you then look beyond it because you then realize it nothing."

※himは聖霊やイエスです。

 

他の講義でも、やはりこれが中心的なメッセージで、聖霊と一緒にエゴを見るということが重要なポイントになっていると思います。

聖霊と一緒に、つまりジャッジしない人(?)と静かに優しく見ることが大切で、そうしないとエゴと一緒に見ることになるので、自分をジャッジしてこんな私はダメだとか巻き込まれます。で、見ないようにします。)

いかに私たちが同一化しているエゴの思考システムが醜く、酷く、悲惨かを見なさい。

ジャッジせずに見れば、離れて、選び直すということだと思います。

なので、エゴを愛するという時、エゴという言葉の定義がいろいろな教えで若干違うので微妙ですが、コースで言う「エゴ」という時、それを愛しながら「見る」ことは愛することが隠すことになりかねないので、ちょっと違和感があるのですよね。

例えば、ちゃんと見ると、他人を罪ある者に仕立て上げて、自分を攻撃してくる者にして、罪を投影したいという思いがあるのですが、普段見たくない。

なので、それは見ないようにして、我慢して、できる限り優しく振舞ったりするのです。でも、虐げられる私なので、無意識に怒りを溜めてますw

見れれば、decision makerの位置に行くので、自分が作り上げていることがわかり、楽になるのですが、変に愛そう=隠そうとすると、攻撃と攻撃してはダメという2つの葛藤にさいなまれるので、苦しくなります。

なので、愛するというのが、エゴの思考体系を隠す目的で使われるなら、本来の意図とは逆に作用することになりかねないと思います。

なので、自分がいかに他人をでっちあげようと、それを赦しながら見て行くのが大切だと思います。

 

「批判や恐れなしにエゴを見つめなさい。現実ではないのだから恐れるのじゃなく赦すべき対象だよ。他者と同じくきみ自身を赦すために、きみが心のなかで人々を利用し、抹殺するようすを見つめることだ。それはほんとうのきみじゃない。無意識が自分だと思っているシステムの一部だ。」(神の使者)

と、ここが神の使者で一番繰り返し立ち返っているポイントかもしれませんw

 

エゴを見る時に、見る事への恐れはすんごくあるので、そこにはいっぱい愛を送りながら、見て行くと比較的良いのかもしれません。