自作自演の恐怖
「赦さない」ことでエゴを選択するか、「赦す」ことで聖霊を選択するかは自由意志。
他人ではなく、自分で決めていること。
頭の悪い自分、弱い自分、汚い自分はダメ。
「赦さない」自己概念は投影されて、
他人が自分を
あの人は頭が悪いからダメ
あの人は弱いからダメ
あの人は汚いからダメ
とひそひそ話しや目配せで言ってくる気がする。
他人に馬鹿にされるという恐怖を作っているのは、自分自身。
頭が悪い自分はダメ。赦せない。つまり罪がある。だから、罰という恐怖が作られる。
自分が罪を赦さないことで恐怖を作っている。他には誰も作っていない。
両親に言われたかもしれないし、友達に言われたかもしれない。
でも、それは過去のこと。
今、赦せばよい。赦せば次第に愛が現れるし、
赦さなければ、愛が隠れ、恐れが現れる。
神は私たちは無辜でまったくの無罪と言っている。
私が有罪と言っているだけ。私が罪を選択している。
自分自身が自分に有罪宣告をした。だから、罰を受ける。
自分自身が自分に無罪宣告をする。だから、赦される。
自分に力を及ぼせるのは自分自身。自分の心だけ。
無意識とは無意識に選択しているということ。
選択し直して、自分を赦すことを選べばよい。
「恐れは愛の欠如から生じる。
愛の欠如の唯一の治療法は完全なる愛だけである。
完全なる愛とはすなわち贖罪である。」
(中央アート出版社刊 奇跡講座T-2.VI.7:6-8)