休んではいけないビリーフ
この世は二元性の世界なので、+とーの両方があります。
白と黒があり、暑さと寒さがあり、潮の満ち引きがあり、、、
なので、潮が満ちるためには引くことが必要であり、引くためには満ちることが必要であり、
どちから一方では存在することができません。
頑張り屋さんな私たちは毎日いろいろ頑張ります。仕事でも家事でも育児でも、とにかく頑張る。
この時間までにここまで終わらせたい。これくらいはできて当り前。
これを続けていると、知らず知らずのうちに頑張って、成果を出せることがすごく大事になってきます。
こんなにできる私、こんなに働ける私、こんなに結果を残せた私。
こういう私は輝いていて、愛せる、認められる。
でも、この私を維持するのは大変です。毎日頑張ってなんとか維持できるレベル。
しかし、段々と辛くなってくる。働ける私が+の側面だとすると、ーの側面には働けない私がいます。
毎日+のみを追いかけていくと、ーがなおざりにされていきます。
疲れて果てて振り返ると、休むことを許可できなくなっている自分を発見します。
仕事が追いかけてくる、家事が無限にある。。。だから、休めない。
ここで二つの選択肢があります。
1.どうやったらもっと頑張れるか(さらに+を追いかける)
2.どうやったら休めるようになるか(ーも取り入れる)
1を選ぶことも多いですね。栄養ドリンクを飲んで、腕まくりをして頑張る。ちょっとワーカホリック気味。でも、やはり気力が続きません。下手すると、体調不良になったり、鬱になったりして、体側がブレーキを掛けてくれます。(ここで抗うつ剤を飲むというのはもう一度やる気を出す方向に行くので、こちらですね。体がサイドブレーキをかけているのだから、アクセルは踏まない方がよいですね。)
2.今まで禁じられてきた働けない自分、休む自分を受け入れていくというのがこのプロセスですね。働けない自分は決してダメではないのです。働くためには休むことが絶対に必要です。潮が満ちるためには引くことが必要です。少ししか引けなければ少ししか満ちないし、多く引ければ満ちる時も多い。これが自然です。いつも満ちていたいというのは不可能で、最初はできそうに思えますが、遠からずムリな時がきます。
休む自分、働かない自分を赦すこと。赦す意欲を少しだけ持ってみる。「働けなくてもよいかも」、「働けない自分がいてもよいかも」。少しでよいから手綱を緩めて、後は聖霊に委ねる。
もし働かない自分がOKになると、今まで人生で否定してきた働かない人達が自然なリズムを持って生活している人に映るかもしれません。
休む自分を赦せた時、働く自分と休む自分がトータルでOKになった時、本当の意味で自分にくつろぐことができますね。