聖霊にお願い!!(ACIMと共に)

ACIM(奇跡のコース)をベースとした日々の気づきを綴ります。

500年は人気のないコース

神の使者によると、コースは向こう500年はポピュラーじゃないらしいですね。

その理由はなんとなくわかってきました。

 

このコースは夢をもっと良い夢にするコースではまったくないのです。

もっと良い仕事、もっと良い肉体、成功、生活、お金、、、全部偶像で、それでは戻れないというのです。これは夢から醒めるコースです。

だから、エゴを幸せにするのではないのです。エゴが実際に何をしているか、ジャッジせずに見なさいというコースです。

私たちは100%死ぬことはわかっているのに、目をつぶって見ないようにします。

筋肉を鍛えて、良い服を着て飾り立て、腐っていく肉体をマスクします。

だから、見なさい。見た上で本当に自分が肉体であることを望むの?見ればエゴから離れて聖霊を選択するでしょう、というのが主旨です。

でも、全然見たくないですよね^^

いかに自分の肉体がもろくて病みやすいか。知っているはずなのに、見ないことにして健康法を探し続ける。

いかに他人を憎んでいるか、怒りを抱いているか、いかにダメな人間を周りに置いておきたいか、みんなあるけど見ないようにして性格を改善しようとする。

いつまでも偶像がほしくて、いつまでももっと良い夢を見たい。

 

本当に見たくないんですよねー。

感情

今までの経験を振り返ると、感情がどっと出て、ごそっと落ちる時期があります。

私の場合、最初に怒りがとてつもなく出て、次に悲しみが出まくる時期、そして最近恐怖の時期に入ってきたようです。それぞれ大体1年くらいのスパンです。今は構えずに一人で静かな場所にいると、原因のよくわからない恐怖が湧いてきて、武者震いしたり、吐き気がしたり、下痢したり、これの影響なのか微熱が出たり。明確な原因がなく勝手に起きます。

 

そもそも反射的にイライラしている時、本当はその下に恐怖があるんですよね。無意識にあるので、まったく気づかないですが。そして、まあ恐怖というのは感じるのがイヤなものです。強いと、震えるほど怖いし、いつ終わるともしれないし。

抑圧してきたものは解放されなければどうしようもないので、そういう意味ではいいことなのですが。

 

始めはびっくりしますが、意外とあるし、大丈夫でっせ、というお話しです。

 

怒りがある時に、自分が感じていることに素直になると、恐怖が出やかったりするかもしれません。素直になることは本当に大事ですね。

いつの間にかやっている他者批判、他者の動機分析など、さっさと終わらせて、本当は自分がどう感じたか、どう思ったかに気づければ、時間が短縮できます。

 

ちなみに、感情が出まくると思考と実際の問題との間にギャップがあることに気づきやすくなります。無から「怖い」という思考と感情が出て、次に現実の状況や他人の形を取るのが見えます。なので、問題→解決というプロセスをいくら辿っても解決せず、心だけが問題なのですよね。やはり。

訓練されてない心

エゴの思考体系を見つめると、エゴとしてはどうしようもできないことが段々とわかり、聖霊に助けを求めるしか選択肢がなくなってきます。

そこで、エゴを選択している時に「聖霊助けてー」と言わないといけないのですが、もうあっという間に同化したまま時が過ぎているし、罪に否応なしに惹かれて自己批判したくなったり、難しい!!、、、と痛感しています。

ワークブックの最初にあるとおり、「訓練されてない心には、何も達成できない」ですね。コースは訓練であり、実践ですね。

 

余談ですが、昨日コースは愛のコースじゃないと書きましたが、講義の続きで説明があり、コースで言う「愛」は「創造」と同じようなものと捉えればよいようです。

あの「創造」というのは、字面こそわかりそうなものの、中身はまったく理解不能です。「愛」も同じとのことです。奥さんも、子供も、自分を磔にする人も等しく愛する愛というのがわかるとしたら、たしかにコースは卒業ですね。そういう愛を言っているのであって、special loveじゃないんだよ、ということです。

 

ちなみに、博士は

「他人を十字架にかけても、自分を十字架にかけるな」

「自分をジャッジする自分をジャッジする自分をジャッジするな」

とか、名言、名アドバイスだらけですw

愛のコースではない

博士の講義は今ので5個か6個目だと思いますが、中心的なメッセージはこれはエゴをundoするコースであり、愛のコースではないというものです。だから、赦しが重要で、それは見ることなんだよ、ということです。

始めは私の聴き方が偏っているのかと思ってましたが、どれを聞いても同じことを言っています。

神の使者も同じで、基本的に赦せば愛は勝手に現れると言っていて、愛をいかに表現するかなどは書かれていません。行動で誰かに優しくしろとも言ってない。

なのですが、エゴの思考体系ずっぽりの私たちは愛とか言いたいんです。コースを読んで、自分の思考体系に取り込みたいのです。そうすれば、secretをマスクできるから。本当はholyの仮面を被ったspecial loveです。誰かに優しくしよう、優しくしてくれたとか。それで卑小なセルコンセプトを抱いたエゴがマスクされるだけです。本当は卑小な自己を保ち、罪悪感を投影したいだけです。

そういって、私は恋人が、子供が、お金が、地位が、成功が、仕事が、健康が与えてくれる特別な愛がほしい、神の愛では不十分というのが本音です。

そして、私たちは今でも終わった世界、終わった「私」に噛りつき、聖霊の声は聞こえない、本当は聞きたくないし、聞きたくないと自分が思っていることも見たくないから選択は自分がしてない、他人のせいだと延々とやっています。

だから、博士は「まず自分がエゴを終わらせたくないと思っていると正直に認めなさい。そこがはしごの一番下だから」と言ってます。本当に終わらせたくないんですよね。。。

見たくない

神の使者で言っているように、イエスはコースは妥協がないですね。

エゴとして世界で幸せになるとか、そういう選択肢はないんですよねー。。。

自己概念を変えようともせず、真の自己に行きなさいですもの。

 

エゴでは幸せになれないと薄々感じているので、教師を変えなければならず、変えたいけど、本音は変えたくない。

変えたくないと思っているのはエゴが見れていないから。まずはエゴの思考体系を妥協せずに見なさいと言われるんですが、見たくない。見たら惨憺たるものだということもなんとなくわかっていて、エゴや世界に希望がないことを腹の底から体感するということが怖いんです。

 

見るのって怖いですねーw

急ぎすぎない

博士の「奇跡講座入門」という本は入門書的な扱いといいながらもすごく良い本で、たまに読み返すと大変勉強になります。

先日読んだときは、私たちが抱えている罪悪感はとても膨大なので、急いでやりすぎるとパニックになったり、布団に入って出てこれなくなるよ、という文章が目に留まりました。

 

本当にその通りですね。私たちは罪悪感が強烈すぎて、この宇宙を作って、投影しまくって、ないことにしているくらいにイヤなので、隠しているだけでデフォルトで病んでます。

だから、世界は良く見ればそんなに美しくないし、「この宇宙は夢なんだ」を読んでも、美しい森の木々の下では木と木の根が縄張り争いをしていると書かれていて、まあ全然平和じゃないんですよね。体もそんなにきれいなものじゃない。空気を吸わなかったらすぐ死ぬし、なんか鼻水とかしょんべんとか仕方なしに垂れるし(ってお釈迦様が言ってたと思う)、それが事実なんだけど、事実は指摘されるとイヤなんですよね。だから、みんな100%起きるはずの死は絶対に見たくなくて、もっときれいな夢に夢中になりたい。家でぶらぶらしているとすぐ価値のないダメ人間になっちゃうから、大企業で働いてきらきらのマスクで覆いたい。

なので、鬱もパニック障害も、その他精神疾患と呼ばれるやつも、程度の差こそあれみんな素地があって、いつなってもおかしくないんですよね。だから、ある意味普通のことだと思います。

 

そういうことを長年研究した人が言ってくれるのがいいですよね。セラピストにもネガティブなものを浄化したきれいな人とか、そういうありえないポジティブなイメージを抱かなくて良くなるし。ここは不完全な人が住む不完全な世界だから、自分や他人に完全さを求めるのは酷だよ、とかも言ってます。

まあ、投影でキラキラに見えるけど、大体みんな病気だよ。だから、自分が病んでても普通だよー、というのが言いたいのでした^^

聖霊を夢の中に取り入れない

ワプニック博士の講義でなるほどと思ったことがありました(いっぱいあるのですが、特に^^)。

奇跡や聖霊という言葉を聞くと、エゴの思考体系に慣れきっている私たちは、コースや聖霊を夢の中に取り入れようとしてしまいます。

 

だから、

良い仕事を見つけたい。聖霊にお願いしよう。奇跡が起きるはず。

良いパートナーを見つけたい。聖霊にお願いしよう。奇跡が起きるはず。

お金がもう少しあれば。聖霊にお願いしよう。奇跡が起きるはず。

とやってしまいます。神頼みの延長みたいに。

 

でも、本当は逆。仕事やパートナーやお金はすべて特別な愛の関係です。自分の罪を覆って、隠すためのマスクです。聖霊にそれを頼んで叶えてほしい、なんで叶えてくれないんだろう。。。ではないんですよね。

 

良い仕事がないとどうなるか?→自分は無価値だと信じていることがばれる

良いパートナーがないとどうなるか?→自分は愛される価値がないと思っていることがばれる

お金がないとどうなるか?→自分は本当は不安でたまらないことがばれる

 

コースはエゴを見ることを通して、ないことになってしまったマインドに戻るコースです。なので、聖霊やイエスを夢の中に招き入れるのではなく、自分が夢から醒めてマインドに戻る方法を聖霊に教えてもらうコースです。

 

本当の自分の思い込みがわかれば、自分の見られていない思い込みこそが、仕事に自己価値を上げる力を与え、パートナーを実際以上に輝かしい人にし、お金に安心感を付与していることがわかります。ほんとはそんな価値ありません。だから、手に入れると、そのときには与えていた価値はなくなります。また次を探しに行きます。

なので、マインドに戻って、本当の問題のありかに行くことが重要です。

 

コースやイエス聖霊を夢の中に入れようとせず、自分がマインドに戻る方法を教えてもらいなさい、奇跡というのは聖霊と一緒に見ることを通してマインドに戻ることだよというのが博士の趣旨で、なるほどだし、この間違いも誰しもやるよなーと思いました。

 

ちなみに、だからといって例えばパートナーを求めちゃダメではないのですよね。パートナーという教材がないとマインドに戻れないのです。聖なる関係じゃないからダメとやると、それはウソです。パートナーを使って自分の罪を隠す、欠けた部分を埋めるという今までのあり方ではなく、パートナーを通して自分の信じた罪、欠けたと思っている部分を見れるようになることが重要なのですよね。パートナーを求める欲をジャッジして、そんなの持ってたらダメとすると、本当の思い込みが見えなくなります。なので、ジャッジせずにその欲を見ていくことが必要です。