お金による平安
お金があれば安心できる。安心できるためには、お金が大事。
お金は何のために必要かというと、安心という答えがほとんどだと思います。
しかし、分離した個の私という信念があれば、
世界は個の人間の集まりに見え、限られたリソースのなかでの奪い合いになります。
良いポジション、良いパートナー、良い資源の奪い合いなど。
ピラミッドの頂点に近づけば、いっぱい得られているので、少し安心な気がします。
でも、リソースは限られているという前提があるので、いつ取られるかわかりません。不安は残ります。
不安から逃れるためには、また大量に得ないといけません。
取られるかもしれないから、もっと得なければと、疲弊します。
しかし、もし本当は分離してない。
神は個のように見える私たちにつながっていて、今までも求めれば必要なことは与えてくれてきた。インスピレーションが湧いたり、自分の進むべき道を示す本を読ませてくれたり、本当はずーっと助けてくれていた。
すると、リソースはソース(源)になります。有限ではなく無限。
そこで初めて平安が訪れる。奪い合いは必要ない。各々が必要な分をもらえばよいだけ。
みんな本当はそこにつながっているのだけど、つながってないと思い込んでいただけ。
ということで、不安な心にはお金は輝いて見えますが、本当はいくらお金があっても平安にはならないのですね。
神なんかいない、求めても私には姿を現さないって思ってますが、本当はずーっといることを知っているのでは?自分がそっちを向かないだけで。