聖霊にお願い!!(ACIMと共に)

ACIM(奇跡のコース)をベースとした日々の気づきを綴ります。

偉くなれば幸せ?

今日、父と会話していたところ、話題が選挙の話しになりました。私は政治や権力などにまったく興味がありません。いわば無縁の世界だったのですが、以下のような話しをされ、「結局構造的にはどれも同じじゃないか」と妙に感じるところがありました。

 

「一旦権力の座につくと、周りも持ち上げるし、金も動かせるし、運転手も付くしで、本当の自分の身の丈以上の自分になれた気がする。だから、一度でもそういう地位に就くと、離れたくなくなるんだよ」

 

私たちは基本的に惨めな自分というセルフイメージを持っているので、偉い人を見ると何か特別なものを持っているような気がします。偉い人、確固たる地位を得た人などは幸せや何かしら盤石な基盤となるものを持っている人に見えませんか?

でも、上の話しからすると、結局いくら地位や権力を求めても、埋まってないのと同じですね。

私たちの内面にはぽっかりと空いた穴があり、自分に向き合うと空虚感を感じるので、基本的に向き合わないようにするし、空洞を埋めようと行動もします。お金、パートナー、学歴、社会的地位、権力などなど。いわゆる偶像であり、これを崇拝することで何とか埋めようとします。

これがチョコレート、ギャンブル、アルコール、過剰な仕事(ワーカホリック)など依存症的な傾向を帯びることもあります。

この空洞は愛によって少しずつ埋まりますが、例えばお金を投げ込むことでも埋まる気がします。それで、一生懸命働きます。稼いでみると、埋まりそうで埋まらないので、もっと働きます。でも、埋まらない。(で、気力が続かなくなってバテる。体験談です(笑))結局、乾いた土地に必要なのはワインではなく水であるように、この空洞に必要なのはお金ではなく愛ですね。

私はどういうわけか社会的なステータスがある人はもう少し「埋まっている」、「心が満たされている」と頭の片隅で思っていたのです。しかし、ただの投影、錯覚でした。結局「チョコレート」が「権力」に変わっただけで、空虚感は埋まってないのだから、首が疲れるほど見上げなくてよく、上も下もなく同じ苦しみを抱えた仲間ですね。